August 2015

August 01, 2015

世界が見た五輪失態と悲哀


毅然とせねばならない時にだらしのない事を重ねている
「李下に冠を正さず」 が本来
しかし一億総評論家の哀れな結末として総素人時代に至って久しい

作る側は当然プロであるべきだが審査し選ぶ側は素人同然の見識で良いなどと誰が言い出したのか
誰がその軽薄な観点で審査機構を作ったのか
ただパラサイトの居場所を作っただけに過ぎない
責任感なんて無い、そんな連中には
だから釈明会見に於いてもデザインとスタイリングが混同されているのだろう

亀倉オマージュがあるにしても、人を迎えるメタファーであるにしても、
多数から疑いを持たれたらそれで終わり
そもそもスタイリングとしても新しくないと見えてくる
画像で明らかなように、基本的にデザインの成り立ち、独自性がひ弱すぎる
だから盗作と言われ太刀打ちできなくなってしまった

私は作者は意匠をコピーなどしていないと思う
但し肝心の論点はそんな所になど無い
これを作り選んだ審査委員会の組織としての客観性、社会的責任意識の弱さに全ての原因がある

デザインの良し悪し判断は人格判断と同じ
本人や関連ではなく、他人や大衆が決めるもの
「おかしい」と思われた時点で失格という厳しさがある
それを踏まえて作り見定めるのが真のプロであろう

前述した審査側は「意匠権に照らした」と釈明した
では何故、相手側からデザインの根拠は?と詰め寄られる脇の甘さが残り、加えて何より受け取る(見る)側に訴えた側の論点のほうが明快に見えて来るのか・・そこに着眼すべきではないか
法とは事実の後から生まれる宿命にある
従い抜本的に、既存法に照らすなどでは創作の未来など計り知る由もないのではないか?
この不確実性に対処することができるとされた人物たちを専門家と位置づけ、審査委員会を設けたはずではなかったのか?

今回の意思決定制度には他責要因を言う隙間が多々あった
それはこの制度作りに関与した機構に結果に対する真摯さが欠けていた事がその主要因だと考える
且つ、この虚構にも等しい制度への過度の依存形質は、直近の競技場問題を筆頭に散見される人災、構造欠陥であり、社会性に欠ける恥ずべき有り様であると言わざるを得ない

また、侵害を言われてからの当事者釈明も専門職都合による理由付けの域を出ず、受け取る大衆を置き去りにした独善的な逃げ口上が続いていることは、姿勢として哀れすぎる
今、近隣の国に「日本もだろうが・・」などと決して自己正当化させるべきではないし、何より先人の築いた信頼を反故にするのは愚以外の何物でもないと信じる
この損失は計り知れないものがある

買収前嘗てブリヂストンがファイアストーンに社名訴訟で勝訴した
シンプルでしっかりした考えがあったからの勝利だった
少し学ぶべきだと考える

やりたいことがそこにあり、それを完遂するなら、
「瓜田に履を納れず」 毅然と歩む心構えがあって然るべきではないのか


7月31日、2022年の冬季オリンピック開催地は北京に決まった
同市は夏冬開催の最初の都市になる
政治と五輪は別との建前認識はある
しかし背面の有機的影響は否定できず、開催地栄誉を中国に与えることが果たしてその後の中国暴走にどのような独善や理由付けを与えてしまうかと思うと、口惜しいだけでは済ますことのできないものが見えてくる
その状況下で日本はアジア一員として毅然とすべき立場にあった
日本が譲れば土足で踏み込まれる国々があることを自覚すべき立場にあるのに、この体たらくは落胆を禁じ得ない内容であった

お金を使ってでもせめて裁判には勝って欲しいと思うほど情けない状況である




五輪エンブレムs








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