May 07, 2006

Juicy 川原町BEAMS

"Juicy" 1982


juicy川原町のBEAMSでよく踊りましたね。
82年Juicy"Love's A Merry-Go-Round"。
これもARISTAです。
この頃、ブランコンの美しい和声やリズムに魅せられた混成バンドが台頭しましたが、彼らもその一つでした。
混成バンド筆頭はやはりAverage White Band。Rod Tempertonが曲を提供し率いたHeatwaveも輝いたグループのひとつでした。そんな彼らに比べるとJuicyはどちらかというと非力なバンドだったんです。
AWBにしてもHWにしても音楽的に相当な実力がありました。それはHamish StuartRod Tempertonの手によるヒット数々を見ればわかると思います。HamishとNedの作品には美しいものが多いし、Rod Tempertonはまいこーじゃくすんに数多くのヒットを提供しています。
Juicyにはそんなバックグラウンドがありませんでした。それに対抗したのかどうかはわかりませんが、JuicyはプロデュースにDeodatoを起用。これはちょっと驚きでしたね。
彼らは所謂一発屋的な存在でした。"Love's A Merry-Go-Round"はこってり系を狙った一曲でしたが、ノリは白かったし、和声もいまいち浅め。今思えばあの時代の「勢い」みたいなものがこの曲を後押ししたかのようにも思います。
あの頃は新曲が出ればとにかく聴いてみて、仮にそれが今一の曲でも、その中に何らかの良さを無理にでも見出そうとしていたように思います。80年代はとにかくどんな時でも、常に新しい刺激を欲していた時代だったように思えてなりません。新曲のリリースがもどかしくもあった。このあたりの曲を聴くと、そんな焦燥感が思い出されます。


それにしてもあの頃はよく踊りましたね。
みんな元気だった・・・私もとても元気でした。
BEAMSがオープンして間もない頃、私は6時開店と同時に入店。最終2時まで、トイレ休憩を除きチークタイムも踊り続け、翌朝、血尿が出たこともありました。
ぶっ通しのディスコはラグビー一試合に相当します。


私はブラコン親友と野郎2人でよく踊りに出かけました。当時のディスコは、一部を除き、たいてい男女同伴でなければ入店不可だったので、私達は入り口あたりで待ち合わせしている女の子のグループに頼み込んで一緒に入らせてもらい、その後閉店までがんがん踊ったものです。大抵下手な軟派と思われるので、3〜4人以上のグループを見つけては、毎回入店していました。後はばんばんリクエストを書いてぐいぐいコーラで水分補給しながら(多量の酒は曲を楽しめなくなる)とにかく踊り続けたものです。


私達はほんとうにブラコン大好きな馬鹿野郎達だったので、純粋に踊りたい一心でディスコに通っていました。ですから男2人入店してから軟派もしないでずぅ〜っと踊っている様子は、ちょっと変に思われても仕方なかったかも知れません。それが老舗ディスコのアラビアンナイトでの危機を呼ぶことになるのですが、それは「80年代の彷徨」の続きで書こうと思います。



紹介CD・・・
無かった




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